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今日もなんとか生きています。

と、地の底からひっそり声を上げる。いつか地上に出られますように。

ドラマとか見てると

いろんな台詞に出会う訳じゃないですか。

 

最近よく家族だとか夫婦だとか

そういうキーワードのドラマに遭遇して

家族愛とは 夫婦の間柄とは 親の愛とは。

 

ドラマの台詞は脚本家さんの思いが詰まっているものだから

その人の思いがたくさんあふれているわけですよね。

 

それを演じる方が受け止めて、言葉にして、

音楽をつけたりカメラワークを調整して

テレビに流れて、私に届くわけですよね。

 

ニュースとかいろんないろんな事件が聞こえてくるわけですよね。

 

こうしましょう、ああしましょうって

推奨される道があるわけですよね。

答えはないのに。

「若いうちに○○しましょう」とか。

 

極端な話、

「親は一番に愛してくれてて絶対の理解者だから、

親に恩返しをしなくてはならない」とか。

 

本当にみんながみんなそうだったら

虐待なんておきないし、

親しかいないちっぽけな世界で生きてきた子たちが

それでも親を求めながら命を失うことなんてないはずなんですよね。

 

この世には絶対的に

「親になってはいけない人」がいると思うし

「親になっても、何歳になっても、親の自覚がない人」がいると思うし

「子どもよりも、自分が一番」だと思っている人もいる。

 

そういう人の元に育って

親だけ、親だけがいればそれでいいのにって思わされて

それが無くなったとき、じゃあどうしたらいいんでしょうね。

 

この年で考えるようなことでもないのに、

そんなことばかりをずっと考えている。

 

誰にも必要とされないのに生きているのってつらい。

 

「愛して欲しい、っていうならまず自分から愛さなくちゃ」っていうけど

どうしたらいいんだろう。好きだって伝えても届かないのに?

愛して欲しいって思うことってそんなに変なことなんだろうか。

自分を見て、自分を認めて、私を私だと認識してくれて、

別に何か特別なことを求めているわけでもなくて、

お金だとか極端な話じゃあどうでもいいから、

絶対に私を捨てないで、なんて

 

約束出来る人、居るわけない。

親ですらできないこと、他人にできるわけがない。

 

○○してくれたら代わりに必要としてくれるって、

そういう契約があればいいのに。

望むことがあるなら言ってくれればいいから、

かなえられるように努力するから、

じゃあ捨てないで、って。ただそれだけなんだけどな。

 

無償の愛なんてこの世に存在しないのかな。

王子様っていないらしいですよ。

 

少なくとも私みたいな人間の元には、

王子様どころか従者どころか馬車も、ガラスの靴すら、

魔法使いすら来てくれないんですよ。

悲しいですね。

 

きらきらした笑顔を見る度に、

何も努力せずにただただ息だけして生きてきた自分の無価値さとかを

痛感させられて、勝手に傷ついてる。

なんて身勝手な人間なんだろう。

仕事が嫌で嫌で

 働いても楽しくないし

承認欲求が強いのに、誰からも求められないし

(それはまた、誰のことも求めてないからだけど)

仕事が楽しいかどうかとか思ってしまう時点であれだし

 

病気で休める人っていいなってちょっと思っちゃう。

この間のサザエさんのカツオくんみたいだな、風邪で休めるのいいなーって

30手前になってもそんなことを思ってしまう。

健康なのは良いことなのに、

不健康が羨ましい。

 

なーーーんにも頭が働かないんです。

悲しいな、苦しいなという気持ちは思うけど

楽しいな、という気持ちが薄れている。

アニメ見たり漫画読んだりドラマ見て

こころを揺り動かされても、

次の瞬間、真顔になってる自分が居る。

 

どこに逃げたら楽になれるんだろう。

もうカウンセリングしても話せることがない。

 

私が聞いて欲しいことは、こどもがお母さんに

「今日なになにがあったよ」とかそんなレベルで、

それを未だに求めている自分にも寂しさを感じるし、

そのストレスを会社に持ちこんで

会社でずっと先輩にねぇねぇって言ってる自分も嫌だ。

 

友達に話したい訳では無い。

 

お母さんが欲しい。

 

おかしいね、周りはみんな『お母さんになっていって』

私はお母さんという存在が欲しいのか。

絶対的な母という、私を肯定してくれる

そんな理想の母親が欲しかった。

人間だもの、そんなものはいない。

 

私が生きててそれを許されるように思えるような、

そういう自己肯定力を身につけさせて欲しかった。

何よりも、どんなスキルよりも、生きていく上で必要だよ

 

毎日ばかみたいに自分を卑下して、それもつらくて、

でもやめられなくて、しんどくて、誰のせいでもない

自分のせい、自分が悪い、自分がいなくなってしまえば

何もかもうまくいくはずなのに、

仕事を辞める勇気がない。

明日も仕事。

寂しさを紛らわせる誘惑

課金をするだけ無駄、課金をするなんてばかばかしい、

そしてそのせいで生活がぼろぼろになってしまったら

元も子もない。

 

わかっています。そんなことは。

というか私が一番、課金する人を軽蔑していたんです。

何も残らないものに投資するぐらいなら

せめてまだアクセサリーとか、服とか、バッグとか。

そういうものを買った方が絶対ましだと。

だってガチャを回しても、友人には欲しいキャラが来ても

私のところには来ないんですもん。

 

そんなこんなでやめてしまうソシャゲーがたくさん。

ランキング報酬なんてもってのほか。

ガチャは出ない。

 

…今、せっせと毎月ウン万課金してイベントを走っている私。

今月始まったばっかりなのに、もう驚くほどのお金をつぎ込んで、

それでも希望の順位になれない私。

 

物欲だけが私を現世に留める理由なんです。

きっと物欲がなくなったら、この世に未練なんてなくなってしまう。

 

精神的にも、体力的にももうぼろぼろです。

課金はおすすめしません。

あけまして

喉の奥に小骨が刺さったような気持ちで、

ブログを書くか、書かないか、書くか、書かないか。

毎日そんな状況でした。

 

2016年は、大好きな人が結婚し、幸せな報告を聞くことから始まりました。

2016年の終わりは、大好きだった人たちがばらばらになってしまった、

それを受け止めきれず、涙が止まらず、過ごしました。

それについて、何度も気持ちをまとめる方法を考えたけど、

どうしても見つかりませんでした。

書いても、書いても、気持ちを抑える方法が見つからないのです。

だから、まだ書きません。

 

大切な友人が、たくさん、たくさん幸せになる年齢になってきました。

毎日、毎日ゆっくりと母になる準備を進めています。

でも、私にはその喜びを、同じように喜んであげられる心の余裕がない。

それがすごく、つらい。

自分の、外見だけではなく内面の醜さを思い知らされる度に

どうして生まれてきてしまったのだろう、と

どうしてここまで生きながらえてしまったのだろうと、

後悔し、哀しくなります。

 

同じ年に生まれて、同じ学校に通って、同じ環境を過ごして、

私だけが、歪んで育ってしまったのだ、と思うと、

頭をかち割って思考回路を止めたくなるのです。

孤独を選んだのは私です。

きっと、誰かと一緒に生きていくチャンスも、

どこかにあったかもしれません。

それを手放したのは私です。

 

私は、私のプライドが憎くて、

身の丈に合わないブランド服に身を包んでいるような自分が許せなくて、

『選んで貰えない』のは当然なのに。

どんなに見た目を取り繕って、『並』レベルにしたとしましょう。仮に。

でも言葉の一つ一つ、選び方に性格や、内面は出るのです。

だから選ばれない。

 

愛されたい、と嘆くと、

「愛されるには、愛することが必要なんだよ」と諭されます。

何度も何度もそれを教えられて、

その度に私は、「私なりの愛を捧げてるのに、返してくれない」と怒ります。

私なりの愛、がいけないのに。

それはただ「あなたを好きなわたし」に酔ってるだけなのに。

…それに今更気がついたところで遅いのです。

 

だって私が愛を捧げられるような人は、

私のことを絶対にすきになってくれないから。

私のことを相手にするような暇があれば、

もっと若くて綺麗で聡明で育ちの良い子を捕まえるでしょう。

 

世の中、同じような金銭感覚の人と、パートナーになることが大事です。

そうじゃないと生活が成り立たないからね。

 

覚えてろよ。私と飲むとネタにされるぞ。

そう、ただひたすら疲れた飲み会に対して、吐き捨てることしかできない。

負け犬の遠吠えとはこのことですね…。

 

好きな人に好きになって貰える、少女漫画で当たり前に行われるようなことは

現実ではかくも難しく、実現不可能な夢であったか。

生きているということは、すなわち地獄に居ることですね。

健康ってなんだろう。

日常

ブログに書きたいこと、たくさんある。

話したいこと、聞いて欲しいこと、

吐き出したいこと。

 

でもだいたいは時間がなくて、

時間がないというか、まあほんとうにだらだらしちゃって、

ブログを毎日書くことすらできない、

私はなんてだめ人間なんだー!って自分を嗤う日々。

読みたい漫画も、ゲームもたくさんあるのに、

時間をうまく使うことができない。

 

数年前から、土日が起きられなくなった。

一日中、本当に一日中寝ていられるのだ。

 

この間、病院の先生に言われた、

「弱音が吐けるって、健康な証拠だ」と。

弱音がうまく吐けなくて、ツイッターにぶちまけてしまって

後悔して自分を責めて他人を避けて、

それでもツイッターに愚痴を吐くことをやめられない私に、

何人かの友人が優しい言葉を掛けてくれたから。

だから、がんばれます、って言ったら、そういった。

 

そうだよね。

みんな弱音が吐けなくて、苦しくなって病院に行ってて、

私は愚痴をこぼしながら病院に行っている。

そりゃ健康だって言われるよ。

 

なんだ、私、健康なんだなって拍子抜けした。

これが「甘え」ってことなのか、って。

私は甘えてるだけなんだって。

余計に自分がクズなんだって認識せざるをえなくなって

とてもつらい。

 

じゃあもう病院なんて行かなくていいよねってなっちゃうよ。

 

不安に押しつぶされる前に。

少し前から、いやだいぶ前から、

ずっと負担だったことをやめました。

ひとつ肩の荷が下りたというかなんというか。

 

その結果には不安がまたつきまといます。

誰かにどう思われてるのか、ずっとずっと不安で

怖くて怖くてたまらないのです。

 

人に嫌われようがなにしようが構わないなんて、

私は弱くて、言えません。

 

されていやだったこと、

言われていやだったこと、

言えてたらこんなに毎日泣いてない。

悩んでないと思います。

 

でもそれには関わらないのが一番だと

やっと心の整理をすることにしました。

定期的に無心で書類整理を始めたり、

変なタイミングで整理整頓しはじめるのですが

今回もそんな感じ。

 

でもそんな私を見て、大丈夫かと、何人か心配してくれました。

これってすごいことですよ。

私はずっと誰にも頼れず、生きてきてると思ってるんです。

実際自分のいま一番の悩みに関しては誰にも頼れません。

どの悩みも、自分のことだから、自分で解決するしかありません。

でもその私の様子がおかしいと、

大丈夫だから、ゆっくりしろと、

言ってくれる人は本当にいるんですね。

 

嬉しくてちょっと泣きました。

 

責められると思ってたんです。

みんなと仲良く出来ない私に。

いい年して、社交性のない私に。

 

求められてる私は、明るくて、良くしゃべってうるさいぐらいで、

でもときどき自虐もしたりする、そういうキャラクターで、

現実の半目でPCに向かってる私は求められてないんです。

 

それと似たようなことを言われてすごくショックで、

だから余計に、疲れてしまっていました。

 

もう大丈夫。

夜明けまでまだまだ遠いけど、

私のことを、「私と遊びたい」と言ってくれる人が

お世辞でもなんでも、いるんです。

どんなに私がダメな人間でも、

私の中に、会いたいという要素があるんだよと、

魅力があるんだよと、そこは自覚を持てと、

言ってくれた人がいました。

 

こんなに嬉しい事って、ありません。

 

生きていることを肯定してくれるみたいで、

なんだかとても嬉しかったから、

結果的に良かったのかなと思います。

 

寂しい気持ちはまだまだ消えませんし

罪悪感とかになんか押しつぶされそうですけど

とりあえず寝ます。。。またあした。

創作することができる人を見て羨むことしか出来ない私

日常

最近、「センスのありなし」についてよく考える。

pixivでもtwitterでもちょこっとしたイラスト、小説、

そんなものが簡単に見られる。プロのイラストも、だ。

 

周りにはデザインの仕事をやっている人が多い。

何かを創ることで、生み出すことで、自分の心の整理をうまくつけて

自分の世界観を構築して、

「見て!見て!」と言って、

そして自分を許すのだ。

 

子どもの頃は漫画家になりたかった。

漫画家になって、好きなだけ漫画を書いて、

私の思いつく話、私の世界を好きなだけ表現して生きていきたいと思った。

でも、壊滅的に絵のセンスがなかった。

母親が美術に関して厳しく、私の絵に対して

「ここがだめだ」と的確にダメ出しをしてくれる人だった。

今思えば最高の編集者でもあるけれど、

当時の子どもの私には、

「頭で思い描くイラストと、紙に書いたイラストが全然違うこと」と

「人に見せて、上手ね、と言われないこと」

を理由に、自信を喪っていった。

 

それでもノートの隙間には、好きな少女漫画家のマネをした

目ばかりが書き込まれていった。学校の授業のどのノートにも、

書いては消し、書いては消し。書いたあとが残って、友人に笑われた。

それは大学生になっても、目の前にシャーペンと紙さえあれば、

目を書き出すのだ。

でも、劇的に身体のバランスを書くのが難しかった。

人体の間接がどうとか、もうそういう次元じゃなくて、

目からかき始める→顔が大きい→髪型に合わせて、肩幅が合わない

こういう感じでバランスが悪くなって、消してしまうのだ。

よく十字線を書いて…なんていうけど、

とにかく私は「目」がすきで、目ばっかり書くことが止められなかった。

 

そんな感じで漫画家を目指すのは高校生ぐらいで「無理だな」と思った。

じゃあその代わりにと言ってはなんだけど漫画の編集者になりたいと思った。

そのためには大学に進学しなくてはいけない。

だから高校を卒業しなければいけない。

もうそういう理由で、惰性で通っていた。

 

高校を卒業する頃には自分の偏差値が低すぎることを十二分に理解していたし、

漫画編集者を雇ってくれる大学名の最低ラインぐらいには入れたものの、

就職活動は見事に失敗した。

いろいろ、なんかその他にもなりたい職業がたくさんあって、

「漫画家になる」と決めた小学生から高校生までの間はずっとブレなかったのに、

そっから先はブレまくりだった。だからなれなかったのかもしれない。

 

趣味の創作活動も、楽しかったのは中学高校までだった。

大学の時にはバイトにのめり込んだし、自分の世界が如何に偏って矮小であるかを

自覚して、「書きたいものがうまく表現できない」ことにすごくストレスを感じるようになってしまった。

しんどかった。

好きを仕事にするのは難しいといわれてるけれど、自分になら出来ると、

なぜかそんな自信さえあった。

でも現実はどうだ。何を創っても、誰にも認めてもらえない。

 

さっき読んだ、ナナとカオルBlack Label1巻で

更科先生が言っていた、

「孤独なのは誰かに認められないからでなく

私が私を認められなかったからなのにな

それでも書くことをやめられなかった」

 

という台詞。

ああ、そうか、結局自分を認められてないから、

誰かに何かを言われても、マイナスにしか受け止められないんだと

そこでようやく気がついた。

 

それでも書くことをやめられないのだ。

だって書かなくなったら、私は、本当に何もなくなってしまう。

誰にも褒められないとしても、

自分の満足のいく文章が書けないとしても、

「出来・不出来はともかくとして、文章を書くことは好き」という、

小さな小さな、本当に小さなプライドだけは守り抜かなければならない。

 

それを喪ったらもう何も残らないな、と改めて思った。

 

誰かと比較するよりももっともっと手前なんだ。

誰でもいいから愛して、じゃなくて、

私が私の文章をもっともっと愛してあげなければ。

私を愛してあげなければ。誰からも好きになんてなってもらえない。

 

「自信はないのですがいかがでしょう」なんて出されたメニュー、

誰も食べたがらないでしょ、とよく人に言いたくなるけど、

自分のことだと全然実践出来てないんだな。

 

書きたいことはたくさんあるのに、

イベントレポとか、ゲームレポとか。

タイミングを逃したり、正確ではないからもう意味がない気がしたり、

個人の主観が入りすぎるレポなんて存在する意味があるのかわからなくて、

そうやって悩んで結局書くのを止めている。

 

書かなければ。

もっと書く時間を作らねば。

生きていく、というよりは、死なないために。

 

難しすぎ。