見つけて見つけて。

いつか誰かの、ほんの少しでいいから役に立てますように。

つらくて、イライラして、情けなくて。

自分の感情のコントロールが全く利きません。

薬を飲んでも、飲まなくても。

誰かと居る時は、「ハイぎみ」な私。

そして、その後の、ひとりになった私は、

「ローすぎるほどロー」な私。

 

一人で過ごす夜に、不安が無いといえば嘘になります。

ずっとこの年齢まで、恥ずかしいですが、実家暮らしですし、

誰かが居て、自室にいる、ということに

安心感がありました。

 

ですが今は誰もいません。

全てを私がやらなければなりません。

動け、動け、泣いてる場合ではない、と言っても

身体は言うことを聞きません。

ただ、だるいのです。

何もしたくないのです。

ゲームだろうが、漫画を読むことだろうが、

なーんにもしたくなくなってしまいました。

 

居場所がありません。

一人で暮らす実家には、

私の怨念とか、情とか、僅かばかりの楽しい記憶とか、

そんなものがずっとたゆたってて、落ち着かないのです。

上の階の人の物音にびっくりしたり、

椅子がキイキイ言う音に不愉快さを感じたり、

家鳴りというのでしょうか、ミシッとかそういう音にも

ずっと過敏になりました。

窓を開けると、ベランダでタバコを吸う住人が居るようで、

その匂いが部屋へ入ってきてしまうので、窓も長時間は開けられません。

 

母の住む家に行きました。

でも、ここは、私の住む家ではありません。

まだ、一人で、自分のベッドで寝転がる方が、ずっと落ち着きました。

誰も居なくても。

誰も居ないことが苦痛でも。

 

それでも、周りは、一人で暮らすよりは、

今のうちに母と過ごすべきでは、と助言もしてくれます。

 

でも私の家じゃないんです。あそこは。

母と、誰か、母の仲の良い人がいるべき場所で、

そこを奪うのは、何か違うんです。

落ち着かないんです。

母を私から奪った人が憎いです。

会うぐらいなら○すと、母にはきちんと伝えているので

きっと会うことはないでしょう。

母はその人に出会えたことで、幸せな気持ちを、

穏やかな日々を得られたことでしょう。

でも、私は、またも母の一番になれないことを思い知らされて、

一体いつになったら、母の中で、私の順番が繰り上がるのか、

その日を待つ意味はあるのか。

 

両親のことを恨んでたりしないのか?と聞かれました。

親が居なくなればいいと思う時も、

いっそ自分の手にかけたいと思う時も、

私を産んだことに対しての不満も、

全てぐちゃぐちゃのドロドロになって、

私の中の気持ちとして、存在しています。

それが、恨みといえば恨みにもなるのでしょう。

 

でも、それ以上に、

いつか私のことを一番だと認めてくれるかもしれない、

そう期待してしまうのです。

一番がなんなのか、もはや私にもわかりません。

何に執着して、

望む結果がなんなのか、わかりません。

ただ、私は、私として認められたい、それだけなんです。

親に、父と、母に、私という存在を、

認めて欲しいだけなんです。

他人なんてどうだっていいんです。

父と母に、私を見て欲しい。

 

それがどうして叶わないんだろう。

 

どうして、世の中には綺麗な心の人が溢れていて

私の心はこんなに澱んでいて、

私は他人に迷惑しか掛けられなくて、

呪いの言葉のようなことしか吐けなくて、

つまらない人生を、自分でつまらなくして、

無意味にしてしまっているんだろう。

 

もし、生まれ変われたら、

「私を愛して」と伝えるだけの自分じゃなく

愛を伝えられる人になりたいなあ。

 

安定しない

前回、薬の効果を強めてもらったのはいいのですが

食後に飲むとテキメンで眠くなります。

ので、昼間はどんなにつらくても我慢しなきゃならない。

 

でも昼間すごく嫌な気持ちになる、

もうだめだ、もうだめだ、と思えば思うほど

涙が出そうになるし、

ちょっと電車の中で涙ぐんでしまうこともあるし、

仕事中も鬼のような顔をして、

おおよそ人に言えないようなことばかりを考えている。

 

カウンセリングがどうとか

薬がどうとかより

 

家に帰ってきて、ゲームをする為だけに

出勤して帰ってきている、そんな感じ。

ゲームやってると、攻撃喰らったり死んだり死にそうになると

本当にその瞬間だけは心が落ち着くというか、楽しい、と思える

 

そんな感じです。

 

いつかこの地獄が、

いや、いつかではなく

早くこの地獄が終わってくれることを望むとともに、

誰かにまだ、助けて欲しいと思ってしまう、

他人に甘えを覚える自分に腹が立つばかり。

 

どうしたいのか、が、わからないのです。

やりたいようにやれ、が、わからないのです。

どれを優先したらいいのか、わからないのです。

 

生きているって、何か意味があることなのでしょうか。

楽しそうにしている人、そのために努力をしているひと、

暗い気持ちに蓋をして頑張っているひとがいるのに

私のようなクズが、いるだけで、空気を悪くして、

周りに良い影響どころか、悪い影響を与えている。

 

他人に迷惑を掛けたくないのに

生きているだけで、誰かの迷惑になる。いやなループですね。

薬を変えた結果

先月処方箋を出して貰ったにも関わらず、

ばたばたして薬局に寄りそびれました。。。

ので、薬ナシで、なんとか一ヶ月過ごしてみました。

 

といっても睡眠薬は余っていたので、

土日だけ(平日飲むと朝起きられなくなるから)飲んではいたのですが。

 

とにかく毎日の状況が変わる中で

どんどん、ストレスに対して弱くなっていき、

他人のことを慮るような状況では全くなく、

スマホゲーにいそしむも、イライラし、

節約を心がけても、物欲の減らない自分に反吐が出る。

そんな状況でしたので、心安まるどころか、

日々、「ああ、早く死ななきゃ、逃げなきゃ、

死んだら楽になれるんじゃないか」ということばかりが

頭の中を駆け巡っていました。

 

先日一ヶ月ぶりに病院へ行き、

やはり「婚活して、落ち着ける相手を見つけて、

第二の人生を歩みなさい」という話をされ、

いやだからどこにそんな素敵な人が落ちているのか、

出会えてたらとっくに出会ってるよ!!!とか

悶々としてたんですけど、

とにかく不安が強く、若干パニックを起こし気味になってきたので

その説明をして、薬を変えて貰いました。

睡眠薬は要らなくなりました。なくても寝られるので。。

 

今までのお薬は効果が長くゆるやかに効くもの。

今回のは早めに、少し短めに効くもの。

2種併用して、飲み比べて見て、とのことでした。

でもまた薬局行きそびれて今日やっと行ったので、

この土日は地獄のように苦しかったんですけど。

 

今日、家に帰ってきて、すぐ効果が現れる方を飲んでみたんです。

すごい眠気(笑)

なんですけど、頭がぼんやりするというか、いい意味で、

考えるというところに至ろうとすると暗幕でくるまれているような、

そこにたどり着けない感じ。

だから、不安になりようがない、そんな感じ。

これって効いてるのかな、と前の薬に比べて、

そう強く感じました。嬉しいかも。

 

でもこんな人間が恋人を作れるとは到底思わなくて、

私のことを好きだなんて言ってくれる人は居なくて、

やっぱ女子アナみたいな服着て街を練り歩くしかないのかな。

 

余談ですけど私はすごく引きこもるのがすきで

休みの日は許されることなら一日中部屋に居たい、そんな人間です。

どんなに周りに出かけろ出かけろ言われても、

家でごろごろしていたい。そういう人間です。

外に出るとお金も使うしね。

 

でも外に出ると多少何かを新鮮に感じることが出来るかもしれません。

 

出不精の私の精一杯の休みの過ごし方は

映画館に映画を見に行く、です。ぼっちなんですけどね☆

出会いなんてあるわきゃないのですが

取り敢えずこのイライラと不安で泣く日々からは

脱却したいと思います。薬が合ってくれますように。

親の離婚に悩む子へ。

 前回の記事を書いた翌日、ちょっとした事件(?)がありまして、

私の生活は一変しました。この約一ヶ月の間で。

どうしようもない状況の中で、はてなブログさんが

「ちょうど一年前こんな記事を書いてましたよ」とメールをくれて、

そうだ、ブログに書き残そう、とやっと思えるぐらいになったので、

まとまらないまま、書きます。

 

タイトルはそのまま、

親が離婚したあと、どちらかと共に暮らす子(年齢は問わず)へ、

私が反省したこと、何か役に立てれば、

一つのケースとして、誰かのサンプルになれば、そう思っています。

 

うちはいわゆる熟年離婚です。

私が子どもの頃から、何度も何度も離婚しそうでした。

ただ、私が子どもだったことから、思いとどまってくれていました。

私が成人したのにいつまで経っても自立しない、結婚もできない(笑)ので

親がしびれを切らして離婚しました。

 

私は実家にそのまま残りました。

理由は簡単で、「誰かに何かを説明したくなかったから」です。

実家にいることによって、住所も変わらない、環境も変わらなければ

嘘をつく必要性は減り、他人に違和感を抱かせず過ごせると思ったからです。

 

私は両親だけが世界の全てでした。

両親はそうは感じて居なかったけど、私は両親>>越えられない壁>>他人

という感じでした。

この人たちに捨てられたら私は生きていけない、と

ずっと子どもの頃から思ってきました。

だから、捨てられる前に死のう、親より先に死のう、と。

そんな人間ですので、当然親を罵倒しました。でも離婚は阻止出来ず、

仕方ないので、親戚と一切関係を絶ちました。

ひっそりと生きていけば迷惑を掛けずに済むかもしれない、

そう思っていました。

でもそれが 間違い でした。

 

どんな事情があるにしても、

両親が離婚するということは、子どもに少なからず影響を及ぼすと

私は思います。

極端な話、DVだったり性暴力に悩むような人は万々歳かもしれないし、

もし今受けていて悩んでいるならばどうにかどこかに逃げて欲しいと思うけど、

やっぱり親のことは、嫌いになれない、と心のどこかで

思う子どもは少なからず居ると思います。

どんなにひどいことをされても、親だから、

ここで見捨てて何かあとから大きなトラブルを招かれるよりは、

今わたしが我慢すれば、、、 と。

 

はっきり言います。

自分が我慢しても何もいいことはありません。

むしろ精神的に病むし、身体も壊すし、どうにもならないし、

もっと手に負えなくなってからでは遅いのです。いろんな面で。

だから、親を捨てられない、なんて悩むようであれば、

もっと他の人を頼ってみてください。

それは「人に重荷を背負わす行為」と、罪悪感を覚えるかもしれません、

でも違います。

できないことは、やらなくていいのです。

誰かに何かを相談されたら、私は嬉しいです。

その人に必要とされてるんだな、と思って、頑張れます。

でも私は誰にも何も言えませんでした。

愚痴を吐いても、助けを求めることまでは出来ませんでした。

 

結果はご覧の有様です。

 

眠れなくて睡眠薬を飲まなくてはならなくなったり、

その反動で朝は起きられなくなったり、土日は一日中寝ていたり、

とにかくイライラしたり、悲しくなったり、ところ構わず涙を流したり、

人に暴言を吐いたり、仕事でミスを連発したり、自傷行為をしたり、

読めもしない量の本やDVDを買いあさって給料より支出の多い月が続いたり。

 

こんな人生、単なる地獄です。

でも、これは私自分が招いたことです。これは、親のせいではなくて、

私が誰にも頼れずに悶々としていた結果、周りの環境も悪化し、

自分自身もどうにもならなくなりました。

動けません。正しいことが何なのかわかりません。

昨日何をしたかもおぼろげで、仕事中もずっとぼーっとしています。

集中力がありません。ただ寂しくて泣いたり、怒ったり、

とにかく感情の起伏が激しいだけの、ハタからみたら我が儘な人になりました。

こうなってしまうと、自尊心を取り戻すとかもうどうしたらいいのか

全くわかりません。自分が嫌いで、自分がとにかく早く死ねばいい、と

自分に対して呪いの言葉を吐くノートを作ったりして、頭が働きません。

 

そうならない為にも、友達でも、親でも、本当に誰かに、

ちょっと話してみませんか。

ただ、誰でもいい訳じゃないので、そこは注意しましょう。

間違った人に相談すると、こんな言葉が返ってきます。

『離婚なんて、今時珍しいものじゃないんだから』

これを言われると、あ、私の悩みって、おかしいんだなって思ってしまいます。

もっと落ち込みます。だから、こういう人は、無視しましょう。

もっと、どうしたらいいかいっぱい考えてくれる優しい人はいます。

絶対いるはずなんです。

いるはずです。

いるって信じたいです。

救ってくれる誰かはいるって信じたいです。

 

だから、もう自分を責めるのはちょっとお休みしましょう。。。

無理に何か頑張る必要は、ありません。

本当に誰かが周りに思いつかないなら、それこそ匿名の掲示板だったり、

こういうインターネットの場で言ってみませんか。

(厳しめな言葉を投げかけてくる人もいるから、きちんと場所選びは必要です)

誰かに優しくされたら、少しだけ安心できます。

そうするとトゲトゲしてた心も、少しだけまるくなるはずです。

 

私はカウンセリングに通っていますが、救われた気持ちにはなっていません

それは先生に完全に心を開けてないかもしれないし、相性もあると思います

だから私は、今回、こうやって、誰かに呼びかけるスタイルで気持ちを表しました

悩んでる人が、どうにかしてたどり着いて、それでホッとできたら、

それが、私の生きている理由になるんじゃないかって思えたから。

誰かが必要としてくれる、

私を必要としてくれる人は絶対いる、

こんな風に追い詰められた私の経験を踏まえて、

失敗しないように生きようと思えるような人がいるといいなと、

そんな風に思います。

 

私が必要とされますように、という考えで書くことは

究極のエゴです。

私も、親と同じように、自分のことしか考えていません。

でも、自分のことしか考えられなくなってるから、

何か出来ることを探さなくちゃならないと思ったので、

そこで一つ、形に残そうと思ったのです。

役に立てなかったらごめんなさい。

力になれない意見かもしれません。

でもこういう意見もあるのだと、知って貰えたら嬉しいです。

 

救ってくれるひとは、どこかに、絶対いる、と思わないと

やってられないのです。

 

名前

私は自分の本名が好きだ。

名字は別に好きでもなんでもないけれど。

名前は好きだ。

 

名前は「親からの最初のプレゼントだ」なんて言ったりする。

産まれてきて人生に絶望はしているけど、

普通の名前を与えてくれた親に感謝している。

最近はキラキラネームや、シワシワネーム(これは本当にシワシワネームと呼ぶ方のセンスを疑うけれど)とか、

そんなくくりもあるけれど、

私は読み間違えられることもほぼない、呼びやすい名前だ。

あだ名もバリエーション豊富で、

ちゃん付けから始まり、「○○っち」「○○っぺ」等、色々あった。笑

 

あくまで個人的にだけど、

女友達からは、ちゃん付けされるより呼び捨ての方が親しみを感じて好きだ。。

 

でも最近は下の名前で呼んでくれる人はほとんどいない。

というのも私はTwitterで知り合った、趣味の繋がりの友人と遊ぶことがほとんどで、

つまりそこで名乗っているハンドルネームで呼ばれることが多い。

そっちでもありふれた名前を使っているから、

外で呼ばれたところで別に恥ずかしさもなければ、

もう10数年この名前でオフ会(笑)に顔を出しているので

すっかりこっちの名前で呼ばれることにも慣れてしまった。

 

恋人も居るわけがないので、下の名前で呼ばれない。

こういう性格なので、異性から下の名前で呼ばれる機会も無ければ、

そういう態度も取らない。取れない。。。

 

会社では、当たり前に名字呼びだ。

 

父親は私のことを「お前」と呼ぶ。

母親は私のことを「あんた」と呼ぶ。

 

それを今日当たり前のように会社で話したら、驚かれた。

私もモヤモヤしていたけれど、他人に驚かれると悲しくなる。

 

私の名前はどこへ行ってしまったんだろう。

 

私は、どこにいるんだろう、と時々思う。

 

じゃあ本名でネットの世界に住んでいればいいのでは、と思うかもしれないけど、

そういう問題じゃないんですよね。

 

なんだか改めて、寂しい。

人生の目標とか

そんなもの全くなくて、

私はいったい何のために産まれて来たのだろう、

誰の役に立つ為に産まれて来たのだろう、

誰に求められる為に、産まれてきたのだろう、

そうずっと考えている。

 

愛は求めるものではなく与える物だとよくいうけれど

与えているつもりなのにそれは違うと否定されて

結局愛なんてものもわからないまま年齢ばかり重ねています。

 

同級生がばんばん結婚して子どもを産んで、

この世の不思議、命をつなげるということを体験している中、

私は「ああ、あの日、教室でこんなことがあった」と

学生時代を反芻しては悲しみ、憤り、つらくなる。

情けないことこの上ないけど、

人の喜びの裏で、私は、自分の成長のなさに少しは焦りも感じています。

 

いつになったらここから抜け出せるんだろう。

学生時代、つらいことばかりじゃなくもちろん楽しいこともあったけど

つらいことほど思い出す、ここでこうしていれば、ああしていれば、

どうして出来なかったんだろう、どうして、

 

どうしていまのうのうと生きてるんだろう。

 

どうして、母になるという立派な友人が周りにたくさんいるのに

仕事もロクに出来ずただゴミ虫のような生活をしているのだろう?

 

その中で少しだけ自分が好きでこうなりたいとかああなりたいとかが見つかった。

「綺麗になりたい。」だ。

きちんと年相応の服装をし、人に不快感を与えないような、

清潔感のある、そういう「きれい」になりたい。

デパコスはいっぱい買えない。

顔は一つしか無いから、使い切れない。

でもできる限り、綺麗ではいたいなと思う。

誰もが振り返る美人だなんてそんなものは整形しないとなれなくて、

そうじゃなくて。

 

こんな情けないけど、一つ目標ができたようなきがする。

優しさに包まれたい

昨日はブログを書いてたら気がついたら寝ていたので

何度も最後だけ書き直してちゃんと文章をしめてから

取り敢えず更新ボタンを押したような気がしますが、

今読み返したらすごく中途半端な部分で終わってて笑いました。

 

今日ももう眠いのですよ…どうして毎日こんな眠いんでしょうね。

睡眠の重要性!

 

今日読んだエッセイ漫画は、

私と同年代、いわゆるアラサーで

特になんという理由もなく会社をやめて

無職生活を謳歌する…という夢とロマンあふれる漫画でした。

年齢も近く、休日の過ごし方といえばごろごろ、

そんな人が「このまま何の変化もない人生でいいのか?」と思い

仕事をやめるのですが

私も仕事をやめた方が会社の為になるのでは、と

首を切られる前に自分からやめなくてはいけないのでは、と

ずっと不安に思っています。態度には出ませんが。

 

いや、本当に心底羨ましい

こんな生活したい、でも私もニート時代こんな感じだったし、

今実際貯金すっからかんですので、

今やめたところで生活が成り立たないんですよね

一人暮らしなんてとてもとても…。

 

だから羨ましいです。

まあしんどいことなんて伏せて

楽な、ゆるーい生活を描いてるんだから

ひたすら羨ましいのは当たり前なのです…。

 

いいなあ。私もぐうたらしたいな。

でも私は仕事やめたところで何にも変われない気がする。

ただのだめな私に戻るだけだ。

社会人というステータスを捨ててしまったらもはや

私に残されている価値といえば、…ないんだな、それが…。

 

悩みの種が増えてしまった。

あ、でも誤解の無いようにお伝えしますけど

漫画は読みやすくて面白いです。それはきちんとね。

 

しかし本を買っても買っても読む暇がない…

次から次へ新しい本を貸してくれるのはありがたいけど

読みたい本がたくさんあって、

借りてる本もあって、

追いつかないんですよね…。幸せだけど無間地獄みたい。