いつか、その日まで

わたしは、ここで

趣味というか気になってること

が増えた。

NBAだ。なんでいまさら?!って感じなんだけど

まあ元々別にバスケをすごく毛嫌いしてたわけじゃなくて、

他のスポーツが好きだったのと、

ミニバス経験者の女の子とどうしても仲良くなれなかった

小学生~中学生の苦い思い出があって、

そんなに詳しくは追ってなかっただけの話なんですけど、

最近ちょいちょい動画でスーパープレーとか見たりして

ふふっすげー意味わかんねぇ………ってなって

もうすぐ開幕なんだ、、と思ってたら

楽天が独占する、なんてニュースを聞きかじって

WOWOW視聴出来ない環境勢としては

(まあこの時点でもうNBA好きになるためのハードルが高い)

おや、私的には見やすくなるのではないか?と思いつつ

まあなんかニュース読んでてもどうやって見られるのかわかんないし、

そもそも選手の名前とか全然わからねー!ってなって

選手名鑑みたいなアレ買えばいいのか???と悩みつつ。

憧れだった「スポーツバー」もこれを機にデビューしちゃったりすれば

いいんじゃない?って思ったんだけど

もうほんとよくわからない。

調べたら何個かあるみたいなんだけど予約、とか

そっか…スポーツバーには予約が必要なのか…!?とか

考えすぎて疲れた。

なんで私の周りにはNBA好きで

もう「これとこれとこれを見ろ!」って教科書を渡してくれる人がいないのか。

ツイッターも詳しい人ばっかりみたいな感じ?で

にわかどころかもう何もわからない素人を相手にしてくれるような場所って

正直ないんですよね。なさそうに見えるんですよね。

今までどんなジャンルでも、

沼に沈めてくれる人(言い方!)が居て

割とその人の誘導にしたがってハマって行ったから

そういうレールが…普通は要らないのかもしれないけど、

私はありがたいなーって思ってて、それがないのが

今ちょっと困ってる、って感じです。

ご新規さんお断りジャンルなのかな、とか(何このオタク的表現)

不安な訳です!!!!!

私は石橋を叩いて渡りたいタイプなんですよ!!

 

本当に好きだったら自分からガンガン行けって話ですよね

敷居の低い趣味ならいいんですけどね、

大人になってからの趣味って難しいです…

取り敢えずウェブを見ることと雑誌を買うところから始めるのがいいらしいと

知恵袋で知ったのでまずはベースのお勉強をしてみようと思います

まとまらない

まとまらないから過去をたぐり寄せようとする。

 

子どもの頃、好きだった「彼氏彼女の事情

もう何年も読み返してなかった

だから話の展開も全然思い出せなかった、

でも定期的に読み返したくなって

 

昨日一気に買った

 

読み進む度に涙がこぼれた

苦しくて苦しくて、

何が苦しいのかもうわからなくなって

誰に私を重ねることも出来ないのに、苦しくて、泣いた

 

今日も一日モヤモヤしていた

早く続きが読みたくて仕方なくて、

 

高校時代の友人から結婚するから結婚式に来て欲しい、と

連絡が来た

興奮とともに、おめでとう、ぜひ、と返事をすると共に、

ああ、と現実を思った

私にはあと、なにもないのに、

周りの友人たちは楽しいことがたくさんあるんだ、

それは生きてきた彼女たちの努力の結果なんだと

思えば思うほど苦しくなって泣いた

素直に心の底から祝えない自分に腹が立った

生活を切り詰めてお祝いすることがつらくてつらくて仕方なくて

自分がどんどん

もっともっと嫌いになって

 

電話や対面じゃなくて良かった

心の伝わらないツールが発達して良かった

本当は良くないけれど、今は良かった

 

ごめん、たくさん検索してごめん

「人数合わせの結婚式の招待」だとか、

たくさん疑ってごめん でも、

今まで、高校卒業してから何度遊べたかということを思えば

私は数合わせでしかないのではないか、とか思ってしまうんだ

ごめん、本当にごめん

きっとお祝いを送るだけなら簡単なのに、、

式には呼んで欲しくなかっただなんて、思ってしまってごめん

人の幸せを、あと何回見せつけられなくちゃならないんだろうと思うと

とてもつらい

 

カレカノの続きを読んだ まだ読み終わらない、

でもまた苦しくなってどうしようもなくなって泣いて

今日も眠る

 

どうしてこんなに心が醜くて狭くて歪んでいるんだろう

何をしたら私は解放されるのだろう?

日々迷走

29歳になって数日が経った。

そう、私の恐れていた日とは誕生日。

普通の人が生きていたら、普通に楽しい日。

私にとっては数年前から、この世の中に生まれてきたことを

いっそ責められている様な気持ちになる日だ。

 

別に年を重ねる事が嫌だというのではない。

ただ、人に必要とされないまま、また1年が経ってしまった、

それを認めたくないだけだ。

 

今年は会社の人たちが何を思ったのか祝ってくれた。

気恥ずかしさと共に、「ああ、誕生日を祝うことは普通のことなのに、

祝われるのが嫌な気持ちなんてわからないよな、そうだよな」と

こんなに長いこと生きてきたのにまた卑屈になってしまった。とてもつらかった。

ケーキでも買って帰ろうと思っていたのに、めちゃくちゃ疲れて、

カップ麺…カップうどんを食べた。誕生日なのに。

ワンワン泣いた。過呼吸になっても誰も助けてくれないのに、

耳と頭が痛くなってなんだかとても苦しくて、

ああ、このままいっそ居なくなれたらなぁと思った。そうして一日が終わった。

 

…思い返してみても今年の誕生日はつらかった。

 

私は、ツイッター上に居る友達がほぼ全ての友達といって

差し支えの無いような状況なんだけれど、

そこでの取引が全て終わったので、フォロワーを0にした。

もともと数人しか残して居なかったのだけれど、

「自分の、個人が特定できるような場所」で、

弱音を吐き続けることは、互いにとってメリットがないからだ。

弱っている人を見ることは、体力がいる。

この人に何がしてあげられるか、私を必要としているのか、

どうしたらこの人がうまく浮上できるか、そんな風に考える。

そして何も出来ない自分、というものにぶつかってしまう。

それを他人に感じさせるのが嫌だった。

遊びにいけば嫌でも楽しく明るい私、を作らないとおかしなことになる。

しかしそんな一日を過ごしたのち、家に帰った私は延々と

鬱々としたツイートをし続けるのだ。

こんなヤツと誰が友達で居たいと思うだろうか?何のメリットがあるだろうか?

お願いだから見て見ぬふりをしてくれ、と頼んだ。

むしろ見ないで欲しい、と。

そっと離れて欲しい、と。何度も何度も呟いた。

でも優しい友人たちは、皆、うまく自衛をしつつ、私から離れなかった。

多分ミュートはしてたんだと思う。けれど、ブロックはしなかった。

でもその優しさが苦しかった。

何もメリットを与えられなかった自分が嫌で、嫌で、嫌で、仕方なくて、

全員ブロック(そのあと解除)した。

 

今はツイートを消せるだけ消して、鍵を開けて、なんとなく呟いている。

弱音と思えるような呟きは、呟いたあとに消している。

もはやどれがどう弱音なのか判断に苦しみ、全部が愚痴なのでは、と

不安に駆られる。でも、それなら消せばいいだけだ。

 

変わりたい。せめて、心配されないように。

 

生きづらさは自己肯定感の無さが問題だとよく言われる。

確かに私は自己肯定感を1ミリたりとも持っていない。

私は私に生きている価値なんて感じないし、望まれているとも思えない。

多分明日何かしらの不幸があっても、仕事や何かで関わる人たちは

ちょっと困るかもしれないけど、その程度だ。

私を通り過ぎて行く人たちにとって、私は極力薄い存在でありたい。

思い出しても欲しくない。

困った存在だと思われたくない。

出来ればいい思い出を残したかった。

なんとなくうっすら、こんなやつも居たなぐらいの気持ちになれるぐらいの存在で

いたかった。

メンタルぐずぐず女なんで思われたくない。嫌だ。

楽しく一緒に居られる人だと思って欲しかった。

それが出来ない自分が許せない、許せない、許せない。

 

逃げる私を許して下さい、

弱い私を許して下さい。

どこにも逃げ場なんて無いんだけれど。

生きていたって結局、一瞬楽しいことはあるかもしれないけど

それの対価が大きすぎる。つらいことの方が、多すぎる。

何もメリットの無い人間に、触れて貰う必要なんてないんだ。

 

でも私は泣きながら叫ぶ。見つけて、と。

愚かだ。

毎年この日が

来るのがたまらなく怖い。

つらくて仕方ない。

受け止めきれない。

大嫌いないちにち。

 

大好きな人のお誕生日なのに、

大嫌いな日だから、素直に心から祝えない。

苦しい。

 

あと一年で、全てを片付けます。

それを目標にします。

 

何も変わらない、普通の明日だけれど、

不安で仕方ない、明日。

汚い、という感情

…が、こびりついて消えない。

鍋の底を焦がしたどころじゃない。

消そうとすればするほど、汚い、汚いという気持ちが増えて

気持ち悪い、気持ち悪いという気持ちが増えて、

私を追い詰める。誰が?私が。

 

同じ立場でも、とても立派に生きている人は何人もいる。

でも、ぱっときいた限り、偏見があることは知っている。

私も、周りに居ないから、わからないし、

むしろ偏見のある人たちに囲まれているから、

そういうものだなと、思っていた。

でもいざ実際に自分がその立場に置かれると、

ああ、本当に偏見ってつらいな、って思うし、

それを乗り越えてる人は本当に頑張ってるんだと思うけれど、

私にそれを求められても、応えられない、とはっきり言いたい。

 

もう頑張りたくない。

頑張れない。

甘えだとか逃げだとか言われてもしょうがない。

じゃあそうやって責めるならいっそ私を して欲しい。

その覚悟もないくせに人のことをとやかく言わないでほしい。

覚悟決めてくれるなら、喜んで従うのに。

 

とにかく気持ち悪くて、本当に無理、本当に気持ち悪い、

私は本当に汚い、汚物以下の存在、もう、Gよりも汚らわしい、

そんなんでなんで生きてるの?って頭の中から声がする、

つらい、しかいえない、なんでこんな言葉ばかり出てくるんだ、

話したいことは弱音ではなく楽しいことで、

もっと素直にありがとうとかが言える人ならいいのに、

ツンデレでも何でも無く、ただひねくれているから、

ありがた迷惑でしかない、とおもってしまう、

そんな自分に反吐が出る。

 

どうしてこんな人生になったのかわからない。

生まれてくること自体が間違いだった。

やり直したいポイントなんて振り返っても、思い出せない。

もうやり直したくも無い。

ゲームじゃないんだから、やり直せない。

消えるしかない。

それが出来ないのも、また私の、甘えなんだな

他人への迷惑とか、生きてる方が掛かるんだから

早くうだうだ言ってないで消えてしまえばいいのに、

あがいてる みっともなく

ドラクエ11で勇者になった。

 

途中までなんだけども!

興奮したので!書かせてください!

超楽しかった!!!!!!!!

以下ネタバレ

 

続きを読む

あと何年生きたいと思うか

すごい質問をぶつけられてしまったので、

これも残しておこうと思う。

 

会社の中でタイトルのような質問をされた。

私は「考えたことがないですね」と答えた。

そうしたら「若いもんね」と笑われた。

いや、笑うといっても、嘲笑の意味は含まれていなかったのかもしれない。

でも私は、バカにされたような感じがして、

ムキになって

「いや、いつ死んでもいいとか、長生きしたくないって思ってるだけです」

そう答えてしまった。

 

この場合の正解は、絶対

「そうですね」と受け流すべきだった。

でも私は、ムキになって余計なことまで言ってしまった。

 

人が人に「死にたい」と言われることのイヤな気持ち、

めちゃくちゃ分かってて気をつけてるはずなのに、言ってしまった。

毎日毎日死にたいと、早く逃げたい、と思いながら這うように会社に行っているのに

それをなんだかバカにされたような、

そんな自分を否定されたような気がしてしまった。実際は違うかもしれないのに。

 

ネットに吐き出したり日記に書くことは自分の中で「許せるゾーン」だと思う。

でも会って話したりしているのに、死にたいって言われても

困るだけだと思う。それを肯定してくれる人は、同じ気持ちを抱えている人だけだ。

 

でももう自分じゃどうにもできない波にのまれて、

心臓ボッコボコに殴られたような感覚で、アザが出来まくって

血が止まらないような感覚で、それでも歩いているのに

それを隠すことが、どんなにしんどくて、

無意味だとわかっていながら、隠したくて仕方ないのに、

隠したいのにこぼれてしまうのがつらくて困っているのに、

バカみたいに、反応してしまった。

 

悔しい。

ただひたすらに悔しい。

 

人の痛みはその人にしか結局のところ分からない、

数値化ができない限り、理解してもらえない。

私も目の前の人が苦しんでいても、じゃあどうしてあげるのがベストなのかなんて

わからないし、私に出来ることは、話を聞くことぐらいだ。

でも私は話を聞いて欲しいわけじゃなくて、じゃあなんだっつーと

私の存在を肯定して欲しい。努力も何にもしてない私でも。

それがめちゃくちゃ難しいってことは分かっていて、

私はそれをして貰えないことを分かっていて、

それでも求めてしまう。だから自分がバカなのだと、思い知らされる。

 

人がどのような時に死にたいと思うかは、その人の自由であり、

死ぬことに対して、それを止めることは、誰にも出来ない、

その人自身の最後の「自由」だと思う。

よく自殺はいけないっていうけれど、悲しむ人がいるから、というけれど、

うるせぇ!今つらいんだよ!って思うし、

じゃあその悲しむ人が私を救ってくれよ!って、私は、思う。

悲しむ人なんて本当に居るのかよ、綺麗ごとすぎるよ。

だって本当に悲しむ人がいるって分かって、それが歯止めになるなら

そんな選択はしないと思う。

 

この先、生きてって幸せになれることがもしかしたら、あるかもしれないけど

ないかもしれない。それぐらい絶望したら、どうしたらいいんだ。

今苦しいんだよ。今、頑張れないんだよ。

いつかのことなんて、今、見えないんだよ。

今、救いがなくて、苦しくて涙を流してるんだよ。

 

いつか幸せになれる、なんて慰めじゃなくて、今幸せになろう、って言って欲しい

 

「ああしてほしい」「こうしてほしい」他力本願の思考を責める前に

じゃあどうしたらいいか、言うとおりにやるから、教えてほしい。

思いつかないんだ

「責任を負う」のがつらいわけじゃなくて「責任を押しつけたい」んじゃなくて

「思いつかない」んだよ。方法が。甘えだと言われたらそれまでなんだけれど。

立ち上がるちからも取られて、出会える仲間もいなくて、

その場にうずくまる人を蹴ることは、正しいといえるのだろうか?

 

苦しいって言葉すら呟くことを許されないのであれば、

もはやそこに自由なんてないと思う